翌朝、早起きして、三崎口駅へ。
そこからバスで三崎港まで移動。
三崎港からすこし歩いたところで、三崎朝市が開催(毎週日曜日)されていたので、そこに立ち寄ろうと思ってやってきた。
三崎口駅に到着
生涯二度目の三崎口駅
バスを待つ、ほかにもこの地域の人と思われる乗客数人
三崎港
なかなか人も多く、活気のある朝市。観光客に楽しく嬉しい朝市。おいしそうなものが手ごろな価格で並んでいる。
9時まで開催されてはいるが、7時には商品と活気が、一通り終わってしまう。行くなら7時前がよい。
そこで、青年会の人たちがくれた、マグロと大根の煮つけ(どちらも三崎名物!)の味のしみていることといったら…筆舌に尽くし難し。そのうまみがとても身に染みる…。実においしかった。
野菜も並ぶ
大根が特に多い
花も並ぶ
テントの下には、魚介類やつくだ煮等、
たくさんのおいしそうなものが…
ここでの買い物は、そのままお家の食卓を華やかにしてくれる
そして、手ごろなお値段
趣ある港町、静かな朝
朝日射す
表舞台ではない街
静かな水面
日常
城ヶ島大橋へ。
城ヶ島は、三浦半島の先にある、島だが、
交通の往来もあり、三崎港からみると、大きな岬のようである。
橋の東側
橋の西側
右手が、さっきまでいた三崎港
城ヶ島の入り口で待ち受ける少女と鳥
昨晩の雨によって、より一層濃密な香りをまとった、さわやかな風が吹いていた。
城ヶ島公園の入り口にあるスイセン
これほどまでにスイセンが並んでいるのは見たことがなかった
外海
遠く館山の市街地がみえる
三浦では、どこに行っても鳶に出会う
ただ、朝方は、鳶もあまり飛ばずに、電線のうえなどで待っている場面が多かった
公園の東端まで行った後、海岸におりて、外海を見ながら島の南側を歩いていく。
この日程の中で初めて外海を見て、やはり広い海の偉大さを感じ入る。
そして、三崎の海の綺麗なこと。
海岸沿いの岩場まで下りてあるいてゆける
波が岩礁にあたる
三浦半島八景のひとつ
「城ヶ島の落雁」
ちなみに、「落雁」は、「干潟に降り立つ雁の群れ」の意
山手のハイキングコース
海沿いのハイキングコース
馬の背洞門
向こう側の海をのぞいてみる
海は透き通る
海沿いからの道
民宿
ライダーの集団が出発を待つ
中心的な通り
バスで、三崎口駅に戻される。
城ヶ島の大きさに比べたら、この駅でさえもものさびしく思えてしまう。
京急で横須賀の街に戻る。
電車の隣り合わせの学生らしき集団は就活生のようだが、幼く見えた。
予約しておいた「YOKOSUKA軍港めぐり」に参加する。
ヴェルニー公園そばのターミナルから出発して、米軍基地や自衛隊基地を眺めながら戻ってくる、一時間弱のクルーズである。
このツアーを経営しているスタッフの若さが目に付いた。米軍基地を「見世物」にして客を集めようというのは確かに若い世代の新しい発想のような気もする。
乗船してしばらくしたら小雨が降りだして、私以外の客は皆1階の席に移動してしまったが…。
しかし、人で混み合った屋内の小さな窓から何が見えるってんだい!そんなんじゃ何しに来たかわかんねえやい!という気概で二階オープン席で外を見続けた。終了後、濡れた格好で1階に降りて行った時の他の客たちからの視線は気にしないことにした。
この船で行く
出発直後の2階席
自衛隊基地には、「ひゅうが」をはじめ、おおくの艦船が停泊していた。
イージス艦
中央のレーダーで、本州全土をカバーし、100発のミサイルがきてもすべて落とすことができるという、この船が
ホテル船
通常、乗り組み員の生活場所は船のなかなので、イージス艦などがドッグに入ってしまった場合の生活場所を提供する船である
ひゅうが
後方から
ヘリコプターが着艦できる
遠く、ジョージ・ワシントン
ズーム
ズーム
ズーム
気づけば2階席には人がいなくなっていた
この後、私だけになった
追浜工業地帯
クレーンには「SUMITOMO よこすか」の文字
自動車やテレビの液晶を製造している
海上自衛隊 海洋観測船にちなん
二年間放置された潜水艦
鳥の休憩所
追浜から横須賀へ通じる水路
かつてここは陸地でつながっていたが、
明治期に手堀りで、切り開き、水路を造った
恐ろしい力
護衛艦おおなみ
傷ついているのは、ソマリアの海賊対処のために出航し任務を遂行、
その後、帰還の途中で、エアアジア機の捜索に参加し、
横須賀に帰ってきたばかりだから
「軍港めぐり」を終えて、寒くなってきていたが、
昨日スルーしていた「みかさ」に行ってみた。
みかさは工事中だったようだが、その大砲の大きさにはやはり驚く。
船内では、たくさんの展示があった。
特に、当時の機関長や司令長官・東郷平八郎のいた部屋の再現はおもしろかった。軍艦のなかと言えども、豪華で落ち着いたつくりになっていて、帝国海軍の威厳をうかがい知れる。
一方で、15cm副砲の操作をマネキンを使って再現している部屋もあった。15cm副砲は艦内で操作し、船外はほとんど見えない。それでいて、4人ほどのグループで一つの大砲を操っていたようである。
1つの副砲、1つの主砲、それぞれをお互いの掛け声だけで、見えない仲間と協力しながら動かしてゆく、というのは、実にチームワークの必要な信頼度の高い操作であったことが分かった。
そして、それらを統合して1つの戦艦、1つの連隊を組織していたことを考えると、実にうまく組織され信頼しあうことによって、戦争を戦っていったことがよくわかる。
東郷ターンのような、司令官一人の働きもさることながら、それが可能であった背景には名もなき戦闘員たちの忠実な協力があったことが身に染みた。
近くの小さなカレー屋さん「ウッドアイランド カレーレストラン」に。
カレー人気店コンテスト1位の名も飾られてはいるが、
なかは、とってもアットホームな雰囲気。優しそうなお母さんが丁寧に運んできてくれる。少し雑然とした土産物の商品棚も、落ち着く雰囲気を醸す。
「トロトロモツ煮カレー」と「海軍コーヒー」を注文。
モツ煮カレーは優しい味で、おいしかった。
海軍コーヒーは、当時の海軍がやっていたと言われるように、コーヒーと砂糖を交互に味わうことで双方の味がよく際立っておいしいものであった。
しかし、おそらく、これらがおいしく優しく感じたのは、外の寒い雨の中からやってきて、このお店の中の暖かい雰囲気そのものにひかれていたからだろう。
出来ることならそこでずっとのんびりしていたかった。
短い滞在であったにもかかわらず、とても名残惜しい気持ちになっていた。
電車に乗って、たった30分ほどで品川についてしまった時には、かえって今までいた場所が、とても遠く離れた場所であったような気がしてしまった。
横須賀に比べれば、まったく東京は、ディズニーランド。ウエスタンリバー鉄道のような山手線で帰った。
横須賀の街で最後に出会った彼ー
この旅は、ここまで。