この映画を見に行った2014年11月末日の日曜日、
たったその二日前、11月28日に、大津監督が亡くなったタイミングであった。
三里塚の闘争のそのはじめから、そこに生きる人々を追ってきた、
現地の人ではなくとも、
現地と都市をつなぎとめてきた偉大なカメラマン・監督が亡くなったのであった。
火葬がちょうどその日に行われたということであった。
闘争の一部が、偉大な大人のその“生き様”が、
いま、目の前の関係者たちの泪となって、未熟な僕の目の前につながってきた。
共振。共鳴。
闘争はいまだ/いま東京に暮らす僕の脊髄を打つ。
この映画は、
闘争に関わってきた現地の人々へのインタビューを通しながら、
当時の映像や写真、遺書の朗読などをいれながら、
進んでゆく。
60~70年代の闘争というのは、
古いアルバムのなか、映像アーカイブスのなか、で、
ホルマリン漬けにされている。
そして、それはそれで、大きな示唆やインスピレーションを与えてくれる。
時に、新たな作品や思想や動きを生み出す。
現代に新たに生まれた問題に方向を指し示す。
しかし、三里塚の個々の“方々”は、
未だに生き、生活し、思いだし、畑を耕し、反対をし、語り続けている。
闘争が、映画の中で語られような“魂の問題”であるならば、
いま、僕の、魂を、揺さぶる。
正直言って、見終わった時より、
いまこうして書いているときの方が、この映画の衝撃を感じている…。
反芻することでその衝撃は大きく大きくなってくる。
闘争は、
社会学でもメディア論でも政治学でも、
でも、それだけではない。
先述のように“魂”であったり、
小泉英政さんが惚れ込んだ、おばあちゃんの『抵抗する気持ち』、“姿勢”“生き様”であったり、
身近な友達、昨日まで会話していた人の“死”や、遺書から感じ取る“意志”であったり、
そして、政府の狡さや、それに対する“怒り”であったり、
運動の“楽しさ”やそれによって生き生きと輝けるチャンスであったり、
それらまでもが混ざって、闘争は続いている。
上映後、鎌田慧さんは、
「なぜ勝てなかったのか」と問うていた。
まだ、答えはないが、
そのひとつに、もっと拡げるべきではなかったか、と。
運動、そのものが、起こりにくくなってきた現代。
運動もなく、政府につぶされ、ブルドーザーにつぶされていく、地方。
そのなかで、なにができるのか、何をすべきなのか。
鎌田さんは最後に、
三里塚の青年行動隊で運動をした若者たちは、いまでもいい顔をしている、
最近ではそういう顔をした若者は少ない、
とおっしゃっていた。
就活が始まる。
生存競争としての自然は、社会にもあり、学生が勉強できるのはその裏で戦う人がいるからだ、と今日の授業で、先生。
ある本で、
「跳び上がって自由にものを考えていたのが60年代末の学生運動」と語っていた人がいた。
就活が始まれば、
地に足つけずに、自由に、学び考えることができなくなる。
現代の大学生は、大学にありながらも、常にそうなのかもしれない。
“生きる”のは『三里塚に』か『社会人として』かでその様相は大きく違う。
どう生きたらよいものか。