2014年12月1日月曜日

『三里塚に生きる』 そして、私



この映画を見に行った2014年11月末日の日曜日、
たったその二日前、11月28日に、大津監督が亡くなったタイミングであった。

三里塚の闘争のそのはじめから、そこに生きる人々を追ってきた、
現地の人ではなくとも、
現地と都市をつなぎとめてきた偉大なカメラマン・監督が亡くなったのであった。

火葬がちょうどその日に行われたということであった。

闘争の一部が、偉大な大人のその“生き様”が、
いま、目の前の関係者たちの泪となって、未熟な僕の目の前につながってきた。
共振。共鳴。
闘争はいまだ/いま東京に暮らす僕の脊髄を打つ。


この映画は、
闘争に関わってきた現地の人々へのインタビューを通しながら、
当時の映像や写真、遺書の朗読などをいれながら、
進んでゆく。


60~70年代の闘争というのは、
古いアルバムのなか、映像アーカイブスのなか、で、
ホルマリン漬けにされている。

そして、それはそれで、大きな示唆やインスピレーションを与えてくれる。
時に、新たな作品や思想や動きを生み出す。
現代に新たに生まれた問題に方向を指し示す。


しかし、三里塚の個々の“方々”は、
未だに生き、生活し、思いだし、畑を耕し、反対をし、語り続けている。

闘争が、映画の中で語られような“魂の問題”であるならば、
いま、僕の、魂を、揺さぶる。


正直言って、見終わった時より、
いまこうして書いているときの方が、この映画の衝撃を感じている…。
反芻することでその衝撃は大きく大きくなってくる。


闘争は、
社会学でもメディア論でも政治学でも、
でも、それだけではない。


先述のように“魂”であったり、

小泉英政さんが惚れ込んだ、おばあちゃんの『抵抗する気持ち』、“姿勢”“生き様”であったり、

身近な友達、昨日まで会話していた人の“死”や、遺書から感じ取る“意志”であったり、

そして、政府の狡さや、それに対する“怒り”であったり、

運動の“楽しさ”やそれによって生き生きと輝けるチャンスであったり、


それらまでもが混ざって、闘争は続いている。


上映後、鎌田慧さんは、
「なぜ勝てなかったのか」と問うていた。
まだ、答えはないが、
そのひとつに、もっと拡げるべきではなかったか、と。

運動、そのものが、起こりにくくなってきた現代。
運動もなく、政府につぶされ、ブルドーザーにつぶされていく、地方。
そのなかで、なにができるのか、何をすべきなのか。

鎌田さんは最後に、
三里塚の青年行動隊で運動をした若者たちは、いまでもいい顔をしている、
最近ではそういう顔をした若者は少ない、
とおっしゃっていた。



就活が始まる。

生存競争としての自然は、社会にもあり、学生が勉強できるのはその裏で戦う人がいるからだ、と今日の授業で、先生。

ある本で、
「跳び上がって自由にものを考えていたのが60年代末の学生運動」と語っていた人がいた。

就活が始まれば、
地に足つけずに、自由に、学び考えることができなくなる。

現代の大学生は、大学にありながらも、常にそうなのかもしれない。

“生きる”のは『三里塚に』か『社会人として』かでその様相は大きく違う。


どう生きたらよいものか。

『三里塚に生きる The Wages of Resistance: Narita Stories』


渋谷はかわらず、日曜日の雑踏
いつにもまして、どこか明るさ・楽天な陽気が入り混じっているように感じた。

東急本店のBunkamura入口のある角、松濤と円山町と“渋谷”が接する交差点から、
円山町に入っていく

そこのユーロスペースで、現在、上映されている映画を見にいった。




『三里塚に生きる The Wages of Resistance: Narita Stories』


 監督・撮影 大津幸四郎
 監督・編集 代島治彦


まず。なにより、
この映画を見に行ったのは2014年11月末日の日曜日であったが、
たったその二日前、11月28日に、大津監督が亡くなったタイミングであった。
偉大な大人が亡くなる、その重みは、計り知れない。


この映画は、
闘争に関わってきた現地の人々へのインタビューを通しながら、
当時の映像や写真、遺書の朗読などをいれながら、
進んでゆく。

当時のことを語りながらも、
その語りの焦点は、“いま”にあったように感じた。

わたしたちにとって、
闘争は、昔の一時期のブームか、よくみる映像の断片のショッキングさか、

そんなものでしかない。

しかし、実際の闘争は、
もっと複数性(アレント)と、
長い歴史と、
感情と人生と生活と、
“いま”をふくんだ問題である。のかもしれない。



そして、この日の15:10の回の後には、
ルポライターの鎌田慧さんのトークショーもあった。

鎌田さんは長く、三里塚の運動にかかわってきた人でもある。

鎌田さんはここで、「どうして勝てなかったのか」という問題を提起されていました。



私自身、自分の今後の問題に頭を悩ませつつもあり、
示唆的なようで、悩みを深くしたようで、

だから、多くの大人や同世代の人と語りたい。


大学生など若い人に見てほしい。
そして語ってみたい。
ぜひ、見に行ってほしい映画です。

ちなみに、平成生まれは割引で1000円で観られます。



『三里塚に生きる The Wages of Resistance: Narita Stories』
 監督・撮影 大津幸四郎
 監督・編集 代島治彦
http://sanrizukaniikiru.com/

ユーロスペース EUROSPACE
http://www.eurospace.co.jp/



[錦糸町]

どうにもにも、とんで、錦糸町へ。
駅の北側は、落ち着いておしゃれな雰囲気。

しかし、南側は。

電飾、巨大看板の照明、街灯、デパートの光りが埋め尽くし、
身体が、その明るさと夜の暗さのダブルバインド、そして細い歩道に多くの人の流れ、に苦しむ感覚。


 南口、西側のネオン街
居酒屋と風俗情報とマッサージ店が、駅間近の一角いっぱいにあって、少し驚く。



駅、南口正面のOIOIの裏手、
『ダービー通り』

パット見、賭博場がたくさんというわけではない。

居酒屋と風俗情報屋が一階にどよんと黒い軒が一直線に並ぶ。

そして、周囲には、コーヒー400円とだけ書かれた喫茶店がちらほら。
中には間仕切りの低いソファ席がたくさん、テレビを見やすいように並んでいる。

ここで、ゆったりと、ソファに腰掛けながら、『ダービー』を見るんでしょうね、なるほど。





どうにも不思議なパターンと文化がるようだ…興味深い…

2014年11月24日月曜日

[吉原]


南千住、ドヤ街から、
いろは商店街に入って、西へ。

西端でジョーが待ち受けている。
そこから南へ、ほんの1ブロック。

吉原大門の信号へ到着。
そこから、再び西に向かって通りを入っていけば、

そこは、めくるめく、吉原のネオン街。






写真に撮ると、とても安っぽくなるんですが、
かつての遊郭の影響か、高級感がものすごくある。

黒塗りのてかてかの車がゆったりしたスピードで、のっそりと路地を通っていき、
それぞれの戸口には高級そうな真っ黒のスーツが立っており、道路の反対側からでも目が合えば、優しく語りかけてきます。

もちろん、この近辺に住んでるらしき人たちも、徒歩に自転車に、通り抜けていきます。

スーツの人たちにとっては、「お客」と「付近の住人」の区別は出来るんでしょね。





道玄坂や歌舞伎町は、もっと、素人にも親しみやすいような薄さがあるんですが、
吉原の「ソープ街」は高級感・重厚感に包まれていました。

これが、遊郭由来の長い文化の蓄積の差なのでしょうか。

[山谷]

コンビニで見つけた。偶然。ほんと。


卵ボーロって、お菓子があるじゃないですか、俺はあれがね、好きじゃなかったんですよ

幼児の頃は食べてたんでしょうがね、
あの何とも言えねえ、赤ちゃん臭さ、
慣用句じゃなく、本当に生まれたばっかの赤ちゃんのような、
擦りむいた傷口から出てくる薄く黄色い血漿の匂いのような、
そういう生々しさのある甘い味

あとね、ミルクセーキ
あれも生々しく甘いじゃないですか、たぶん卵黄そのまんまなんでしょうね

そういう味がずっと好きじゃなかったんですよ


でも、この街を歩いているうちに、
偶然それらをみつけて、
ひさびさに味わってしまいました。

なんだか、あの辺りにぴったりの味わいなんですよね


谷中を歩いたあと、日暮里から南千住へ。
コンクリート造りの低層マンションが増え、日も傾いてきた。

 南千住といったら、これ。
歩道橋を越えて。


ところで、

最近、『あしたのジョー』を一気読みしたばっかりだったんですよ。
心にずっしり来ましたね、ブローのように。


それで、泪橋に感慨深く。
こにあった橋の下にジムがあるという設定なんです。


おっちゃんのセリフ。

「この橋はな、人呼んでなみだ橋という。いわく…人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ…だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。わかるか、わしの言うてる意味が…?」

ドヤ街に入ってきた人たちにとってはそこが終着点かもしれないが、ジョーはそこから世界へ挑んでいく、そのストーリーに心打たれるのでしょうね。
 「泪橋」の信号

信号の一角のお店。「パ」のずれ具合、そして、ふりがな…ふれてない、みえてない。


 泪橋から、道を渡って、南側へ。
ドヤ街です。
 意外と広いんですね。
渋谷とか表参道とかそういうおしゃれなスポットってテレビなんかでイメージが作られていくので、言ってみると、あれもう終わり?ってことがよくあるんですが、
このドヤ街は真逆でしたね。

こんなに広いのか、この一角も簡易ホテルが並んでるのか、と。

スポットライトは、現実以上の存在感をみせることもありますが、
陰は、現実よりも小さい印象が与えられていくんですね。

その非対称性を身に染みて感じました。



 玉姫公園
ジョーが一人になりたいときによくここにきてました。
ただ、現状は、ブルーシートの家が並び、
多くの人の生活の場であるとともに、集会の場でもありました。
一人になれる雰囲気ではありませんでした。

たしかに、ホームレスやドヤ街で生活する人たちを助けなくては、という意見はあります。

しかし、その地域は、現実に広がりをもって、現実に身体をもって、現実に言葉を交わし合う人たちがいる場所です。
そこでの生活様式や文化、慣習、蓄積にも目を向けることもできるのではないか、と感じました。

 商店街
あちこちで『あしたのジョーのふるさと』を推してるのにはびっくりしました。

 ドヤ街の商店街のテレビに、
おしゃれで清潔なデパートでインタビューを受ける着飾った中年女性が映っていた。
同じ東京でも遠く遠く。


『「あした」…といっているわね しきりに…「すばらしいあした」はきょうという日をきれいごとだけ…おていさいだけととのえてすごしていては永久に やってこないわ
血にまみれ あせやどろにまみれ きずだらけになって…
しかも他人には変人あつかいをされる今日という日があってこそ…
あしたは…ほ…ほんとうのあしたは…!』



[谷中]




朝、雨上がりで、青空が映ってました。


















先日、ゼミの先輩方の案内で、日暮里・谷中銀座に行き、
もうその時から、東京の右半分の魅力に惹かれてしまいました…!

一人で谷中からずっと歩いてみました。



午後2時すぎ、散歩開始。
都営バスで、根津へ。

そこから坂をのぼって谷中地域に入っていきました。

そこで気づいたこと、
谷中では、
今まで培ってきたイメージを再生産することで新たな経済活動を呼び込んだり、
新しい文化活動を呼び込むようになってきているらしく、
古民家風の旅館や、木造・モダンなアトリエがたくさんありました。

 写真、わかりにくいですね…
それまでの木造の雰囲気を、新しく立て直した建物でも再現しようとしているようです。

それにしても、古民家や下町とアートやデザインなどは、どうしてこうも結びつくんでしょうね。



谷中の風景はとても気に入りました。

台地の上にあり、寺社などが多いため、空が広いんです。
東京なのか!と驚くほどに。

のんびりした雰囲気ただよい、
冬の寒風のなかでも猫の日向ぼっこのポイントがたくさんありそうなまちです。



とつぜん、こんな景色に出会います。
↓どうやら、地区の人たちにこの景色は守られているようです。



寺社が多く並んでいる。ポツリポツリとマンションが。

 そのうちに、谷中霊園へ。
中村正直(なぜそこ!)など多くの著名人が眠る。
 しかし、辛気臭いお墓参り気分はあまりないのです。
開放的な広さがあり、行き交う人も多く、
 そして下町のまちなみが続くその先で、塀や仕切りなく霊園が続いていくので、とても親しみやすい町の一部、生活空間の延長のようであった。
 霊園といえどもその存在は優しい。

古民家風の建物、広い道、そして遠くにみえる高層マンションが印象的です。

 境界はなく、住宅街にそのまんまどーん。

なるほど、そういう考え方もある 
 カタカナにすればおしゃれ、ってものでもない、ショウゾウさんよ。

谷中銀座の周辺に。

この日はひみつ堂に行列はなかった。

 岡倉天心記念公園。
 この中に、金色の岡倉天心がいます。なるほど、こんな顔してたのね、って顔。

谷中銀座、西側を南北に走る、よみせ通り



 谷中銀座


『肉のサトー』のメンチ と ウズラの卵
“夕焼けだんだん”にて

日暮里駅 “トレインミュージアム”
ほら、ちゃんと、説明板もあるでしょ。 なに言ってるの、これがミュージアムだよ。

谷中は、とてもいい雰囲気でした。

というのも、
大学に入り東京に来てから、
左半分のこぎれいで、文化の蓄積も吹っ飛ばしてしまった、マネーの吹き荒れる、清潔で“おしゃれな”街ばかりみていたので、今回初めて、右半分にしっかりと足を踏み入れて歩いた実感。

といっても、

その左の清潔・無菌との対照から見出されてきた“下町”感を利用・再生産して、
ひと儲けしよう、自由に作り変えようという意図も随所に見られ、
おしゃれな街にしたり、観光地化したりと、街の生き残り戦争の最前線をも垣間見えました。

正直、まだ歩き足りないです。

路地裏とか小さな公園とか古びた置き物とか素敵です。

[浅草の裏]

夜の浅草

千束通りをとおって、吉原から浅草の裏手へ。





 「シ」「ソ」が苦手な洋品店。
白くなってしまったが、背後の札の「ビジネススーツ」もなかなかの見応え。

浅草見番・浅草三業会館
つまり、花街の「検番」 の現代版ですね。
いまでも、料亭や置屋などの組合から成り立ち、
芸者さんの手配などを行っているみたいです(HPより)
(検番ではなく見番とも書くんですね~)

疲れたんで、隅田川でボーっと、スカイツリー眺めてました。

橋は、桜橋。








いいカメラほしいなぁ。