2014年11月24日月曜日

[吉原]


南千住、ドヤ街から、
いろは商店街に入って、西へ。

西端でジョーが待ち受けている。
そこから南へ、ほんの1ブロック。

吉原大門の信号へ到着。
そこから、再び西に向かって通りを入っていけば、

そこは、めくるめく、吉原のネオン街。






写真に撮ると、とても安っぽくなるんですが、
かつての遊郭の影響か、高級感がものすごくある。

黒塗りのてかてかの車がゆったりしたスピードで、のっそりと路地を通っていき、
それぞれの戸口には高級そうな真っ黒のスーツが立っており、道路の反対側からでも目が合えば、優しく語りかけてきます。

もちろん、この近辺に住んでるらしき人たちも、徒歩に自転車に、通り抜けていきます。

スーツの人たちにとっては、「お客」と「付近の住人」の区別は出来るんでしょね。





道玄坂や歌舞伎町は、もっと、素人にも親しみやすいような薄さがあるんですが、
吉原の「ソープ街」は高級感・重厚感に包まれていました。

これが、遊郭由来の長い文化の蓄積の差なのでしょうか。

[山谷]

コンビニで見つけた。偶然。ほんと。


卵ボーロって、お菓子があるじゃないですか、俺はあれがね、好きじゃなかったんですよ

幼児の頃は食べてたんでしょうがね、
あの何とも言えねえ、赤ちゃん臭さ、
慣用句じゃなく、本当に生まれたばっかの赤ちゃんのような、
擦りむいた傷口から出てくる薄く黄色い血漿の匂いのような、
そういう生々しさのある甘い味

あとね、ミルクセーキ
あれも生々しく甘いじゃないですか、たぶん卵黄そのまんまなんでしょうね

そういう味がずっと好きじゃなかったんですよ


でも、この街を歩いているうちに、
偶然それらをみつけて、
ひさびさに味わってしまいました。

なんだか、あの辺りにぴったりの味わいなんですよね


谷中を歩いたあと、日暮里から南千住へ。
コンクリート造りの低層マンションが増え、日も傾いてきた。

 南千住といったら、これ。
歩道橋を越えて。


ところで、

最近、『あしたのジョー』を一気読みしたばっかりだったんですよ。
心にずっしり来ましたね、ブローのように。


それで、泪橋に感慨深く。
こにあった橋の下にジムがあるという設定なんです。


おっちゃんのセリフ。

「この橋はな、人呼んでなみだ橋という。いわく…人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ…だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。わかるか、わしの言うてる意味が…?」

ドヤ街に入ってきた人たちにとってはそこが終着点かもしれないが、ジョーはそこから世界へ挑んでいく、そのストーリーに心打たれるのでしょうね。
 「泪橋」の信号

信号の一角のお店。「パ」のずれ具合、そして、ふりがな…ふれてない、みえてない。


 泪橋から、道を渡って、南側へ。
ドヤ街です。
 意外と広いんですね。
渋谷とか表参道とかそういうおしゃれなスポットってテレビなんかでイメージが作られていくので、言ってみると、あれもう終わり?ってことがよくあるんですが、
このドヤ街は真逆でしたね。

こんなに広いのか、この一角も簡易ホテルが並んでるのか、と。

スポットライトは、現実以上の存在感をみせることもありますが、
陰は、現実よりも小さい印象が与えられていくんですね。

その非対称性を身に染みて感じました。



 玉姫公園
ジョーが一人になりたいときによくここにきてました。
ただ、現状は、ブルーシートの家が並び、
多くの人の生活の場であるとともに、集会の場でもありました。
一人になれる雰囲気ではありませんでした。

たしかに、ホームレスやドヤ街で生活する人たちを助けなくては、という意見はあります。

しかし、その地域は、現実に広がりをもって、現実に身体をもって、現実に言葉を交わし合う人たちがいる場所です。
そこでの生活様式や文化、慣習、蓄積にも目を向けることもできるのではないか、と感じました。

 商店街
あちこちで『あしたのジョーのふるさと』を推してるのにはびっくりしました。

 ドヤ街の商店街のテレビに、
おしゃれで清潔なデパートでインタビューを受ける着飾った中年女性が映っていた。
同じ東京でも遠く遠く。


『「あした」…といっているわね しきりに…「すばらしいあした」はきょうという日をきれいごとだけ…おていさいだけととのえてすごしていては永久に やってこないわ
血にまみれ あせやどろにまみれ きずだらけになって…
しかも他人には変人あつかいをされる今日という日があってこそ…
あしたは…ほ…ほんとうのあしたは…!』



[谷中]




朝、雨上がりで、青空が映ってました。


















先日、ゼミの先輩方の案内で、日暮里・谷中銀座に行き、
もうその時から、東京の右半分の魅力に惹かれてしまいました…!

一人で谷中からずっと歩いてみました。



午後2時すぎ、散歩開始。
都営バスで、根津へ。

そこから坂をのぼって谷中地域に入っていきました。

そこで気づいたこと、
谷中では、
今まで培ってきたイメージを再生産することで新たな経済活動を呼び込んだり、
新しい文化活動を呼び込むようになってきているらしく、
古民家風の旅館や、木造・モダンなアトリエがたくさんありました。

 写真、わかりにくいですね…
それまでの木造の雰囲気を、新しく立て直した建物でも再現しようとしているようです。

それにしても、古民家や下町とアートやデザインなどは、どうしてこうも結びつくんでしょうね。



谷中の風景はとても気に入りました。

台地の上にあり、寺社などが多いため、空が広いんです。
東京なのか!と驚くほどに。

のんびりした雰囲気ただよい、
冬の寒風のなかでも猫の日向ぼっこのポイントがたくさんありそうなまちです。



とつぜん、こんな景色に出会います。
↓どうやら、地区の人たちにこの景色は守られているようです。



寺社が多く並んでいる。ポツリポツリとマンションが。

 そのうちに、谷中霊園へ。
中村正直(なぜそこ!)など多くの著名人が眠る。
 しかし、辛気臭いお墓参り気分はあまりないのです。
開放的な広さがあり、行き交う人も多く、
 そして下町のまちなみが続くその先で、塀や仕切りなく霊園が続いていくので、とても親しみやすい町の一部、生活空間の延長のようであった。
 霊園といえどもその存在は優しい。

古民家風の建物、広い道、そして遠くにみえる高層マンションが印象的です。

 境界はなく、住宅街にそのまんまどーん。

なるほど、そういう考え方もある 
 カタカナにすればおしゃれ、ってものでもない、ショウゾウさんよ。

谷中銀座の周辺に。

この日はひみつ堂に行列はなかった。

 岡倉天心記念公園。
 この中に、金色の岡倉天心がいます。なるほど、こんな顔してたのね、って顔。

谷中銀座、西側を南北に走る、よみせ通り



 谷中銀座


『肉のサトー』のメンチ と ウズラの卵
“夕焼けだんだん”にて

日暮里駅 “トレインミュージアム”
ほら、ちゃんと、説明板もあるでしょ。 なに言ってるの、これがミュージアムだよ。

谷中は、とてもいい雰囲気でした。

というのも、
大学に入り東京に来てから、
左半分のこぎれいで、文化の蓄積も吹っ飛ばしてしまった、マネーの吹き荒れる、清潔で“おしゃれな”街ばかりみていたので、今回初めて、右半分にしっかりと足を踏み入れて歩いた実感。

といっても、

その左の清潔・無菌との対照から見出されてきた“下町”感を利用・再生産して、
ひと儲けしよう、自由に作り変えようという意図も随所に見られ、
おしゃれな街にしたり、観光地化したりと、街の生き残り戦争の最前線をも垣間見えました。

正直、まだ歩き足りないです。

路地裏とか小さな公園とか古びた置き物とか素敵です。

[浅草の裏]

夜の浅草

千束通りをとおって、吉原から浅草の裏手へ。





 「シ」「ソ」が苦手な洋品店。
白くなってしまったが、背後の札の「ビジネススーツ」もなかなかの見応え。

浅草見番・浅草三業会館
つまり、花街の「検番」 の現代版ですね。
いまでも、料亭や置屋などの組合から成り立ち、
芸者さんの手配などを行っているみたいです(HPより)
(検番ではなく見番とも書くんですね~)

疲れたんで、隅田川でボーっと、スカイツリー眺めてました。

橋は、桜橋。








いいカメラほしいなぁ。