代々木上原からすぐの住宅街の中にあらわれる、イスラームの寺院。
毎日、礼拝が行われており、服装などに気を付けながら見学可能。
ステンドグラス、カリグラフィ、白と青と緑と赤が内部を彩り、静粛さを保ちながらも、社交的なムスリムの方々が日常的に礼拝のための気分を整えられる空間。
もう少し、イスラムの礼拝などについて、勉強してからまた行ってみたいと思う。
10月31日 ニコライ堂へ
オフィス街のガラス張りのビルの中では、ニコライ堂は低くくすんでみえてしまいます。
しかし、中に入れば、正教会らしい、荘厳な金の装飾が祭壇を囲んでいます。
また、ステンドグラスや絵画の個性豊かなイコンが多数あります。
重厚な雰囲気が漂います
今度は、日曜日に来てみたいと思います。
「聖橋」は、ニコライ堂と湯島聖堂、二つの「聖」の間にあることからの名前
そこを渡って、湯島聖堂へ
大きな孔子像。森の中に突如として現れる存在感。威圧感すら。
大成殿は、最奥に構える本殿。とにかく大きく、そして締め切られているので、さびしくも威圧されます。屋根の上には鳩がずらーっと並び、また肩をいからせる獣が八方に構えておりいまにもとびかかってきそう。
最後に、神田明神
お江戸の総鎮守とだけあって、人も多く出入りしており、お土産屋さんやおみくじの売り場も神主さん・巫女さんが多くにぎやか。
さらには、本殿の周りを東京中の神社が取り囲んでたくさんいるので、神様もたくさんいます。
平日でもちょっとしたお祭り気分になれる、江戸気質を感じた気分。
東京にある、4つの「聖」の空間を回ってみた。
共通なのは、香り。特に、建物内部では香りに包まれるとともに心に一定の緊張感を持たせてくれる。お香の香りはどこも大差なく、いってしまえば、子どもの頃に感じた仏壇の近くの香りと緊張感のつながりを思い起こさせる。
「聖」は非日常とつながり、儀礼などを通して、自分自身や社会関係を再生産していく。しかし、儀礼は日常的に行われるものである。あまり固すぎる雰囲気ではない。また、これらの場所は東京という異文化の日常生活の場の中で孤立している。特に、イスラームやキリスト教は東京という都市の中ではマイノリティとしてのまなざしにさらされるなかにあったからだろう、見学者と言うアウトローにも開放的にふるまってくれた。
我々は、マジョリティとして、文化を踏み潰してしまう可能性を持っていることを自覚しなければならない。そして、「誠実」さを忘れず、付き合わせていただいていきたいと思う。そうすれば、「聖」という絶対的非日常性を失った都市生活者にとって、このような場所は驚きと喜びを与えてくれると思う。
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