2014年11月24日月曜日

[山谷]

コンビニで見つけた。偶然。ほんと。


卵ボーロって、お菓子があるじゃないですか、俺はあれがね、好きじゃなかったんですよ

幼児の頃は食べてたんでしょうがね、
あの何とも言えねえ、赤ちゃん臭さ、
慣用句じゃなく、本当に生まれたばっかの赤ちゃんのような、
擦りむいた傷口から出てくる薄く黄色い血漿の匂いのような、
そういう生々しさのある甘い味

あとね、ミルクセーキ
あれも生々しく甘いじゃないですか、たぶん卵黄そのまんまなんでしょうね

そういう味がずっと好きじゃなかったんですよ


でも、この街を歩いているうちに、
偶然それらをみつけて、
ひさびさに味わってしまいました。

なんだか、あの辺りにぴったりの味わいなんですよね


谷中を歩いたあと、日暮里から南千住へ。
コンクリート造りの低層マンションが増え、日も傾いてきた。

 南千住といったら、これ。
歩道橋を越えて。


ところで、

最近、『あしたのジョー』を一気読みしたばっかりだったんですよ。
心にずっしり来ましたね、ブローのように。


それで、泪橋に感慨深く。
こにあった橋の下にジムがあるという設定なんです。


おっちゃんのセリフ。

「この橋はな、人呼んでなみだ橋という。いわく…人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ…だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。わかるか、わしの言うてる意味が…?」

ドヤ街に入ってきた人たちにとってはそこが終着点かもしれないが、ジョーはそこから世界へ挑んでいく、そのストーリーに心打たれるのでしょうね。
 「泪橋」の信号

信号の一角のお店。「パ」のずれ具合、そして、ふりがな…ふれてない、みえてない。


 泪橋から、道を渡って、南側へ。
ドヤ街です。
 意外と広いんですね。
渋谷とか表参道とかそういうおしゃれなスポットってテレビなんかでイメージが作られていくので、言ってみると、あれもう終わり?ってことがよくあるんですが、
このドヤ街は真逆でしたね。

こんなに広いのか、この一角も簡易ホテルが並んでるのか、と。

スポットライトは、現実以上の存在感をみせることもありますが、
陰は、現実よりも小さい印象が与えられていくんですね。

その非対称性を身に染みて感じました。



 玉姫公園
ジョーが一人になりたいときによくここにきてました。
ただ、現状は、ブルーシートの家が並び、
多くの人の生活の場であるとともに、集会の場でもありました。
一人になれる雰囲気ではありませんでした。

たしかに、ホームレスやドヤ街で生活する人たちを助けなくては、という意見はあります。

しかし、その地域は、現実に広がりをもって、現実に身体をもって、現実に言葉を交わし合う人たちがいる場所です。
そこでの生活様式や文化、慣習、蓄積にも目を向けることもできるのではないか、と感じました。

 商店街
あちこちで『あしたのジョーのふるさと』を推してるのにはびっくりしました。

 ドヤ街の商店街のテレビに、
おしゃれで清潔なデパートでインタビューを受ける着飾った中年女性が映っていた。
同じ東京でも遠く遠く。


『「あした」…といっているわね しきりに…「すばらしいあした」はきょうという日をきれいごとだけ…おていさいだけととのえてすごしていては永久に やってこないわ
血にまみれ あせやどろにまみれ きずだらけになって…
しかも他人には変人あつかいをされる今日という日があってこそ…
あしたは…ほ…ほんとうのあしたは…!』



[谷中]




朝、雨上がりで、青空が映ってました。


















先日、ゼミの先輩方の案内で、日暮里・谷中銀座に行き、
もうその時から、東京の右半分の魅力に惹かれてしまいました…!

一人で谷中からずっと歩いてみました。



午後2時すぎ、散歩開始。
都営バスで、根津へ。

そこから坂をのぼって谷中地域に入っていきました。

そこで気づいたこと、
谷中では、
今まで培ってきたイメージを再生産することで新たな経済活動を呼び込んだり、
新しい文化活動を呼び込むようになってきているらしく、
古民家風の旅館や、木造・モダンなアトリエがたくさんありました。

 写真、わかりにくいですね…
それまでの木造の雰囲気を、新しく立て直した建物でも再現しようとしているようです。

それにしても、古民家や下町とアートやデザインなどは、どうしてこうも結びつくんでしょうね。



谷中の風景はとても気に入りました。

台地の上にあり、寺社などが多いため、空が広いんです。
東京なのか!と驚くほどに。

のんびりした雰囲気ただよい、
冬の寒風のなかでも猫の日向ぼっこのポイントがたくさんありそうなまちです。



とつぜん、こんな景色に出会います。
↓どうやら、地区の人たちにこの景色は守られているようです。



寺社が多く並んでいる。ポツリポツリとマンションが。

 そのうちに、谷中霊園へ。
中村正直(なぜそこ!)など多くの著名人が眠る。
 しかし、辛気臭いお墓参り気分はあまりないのです。
開放的な広さがあり、行き交う人も多く、
 そして下町のまちなみが続くその先で、塀や仕切りなく霊園が続いていくので、とても親しみやすい町の一部、生活空間の延長のようであった。
 霊園といえどもその存在は優しい。

古民家風の建物、広い道、そして遠くにみえる高層マンションが印象的です。

 境界はなく、住宅街にそのまんまどーん。

なるほど、そういう考え方もある 
 カタカナにすればおしゃれ、ってものでもない、ショウゾウさんよ。

谷中銀座の周辺に。

この日はひみつ堂に行列はなかった。

 岡倉天心記念公園。
 この中に、金色の岡倉天心がいます。なるほど、こんな顔してたのね、って顔。

谷中銀座、西側を南北に走る、よみせ通り



 谷中銀座


『肉のサトー』のメンチ と ウズラの卵
“夕焼けだんだん”にて

日暮里駅 “トレインミュージアム”
ほら、ちゃんと、説明板もあるでしょ。 なに言ってるの、これがミュージアムだよ。

谷中は、とてもいい雰囲気でした。

というのも、
大学に入り東京に来てから、
左半分のこぎれいで、文化の蓄積も吹っ飛ばしてしまった、マネーの吹き荒れる、清潔で“おしゃれな”街ばかりみていたので、今回初めて、右半分にしっかりと足を踏み入れて歩いた実感。

といっても、

その左の清潔・無菌との対照から見出されてきた“下町”感を利用・再生産して、
ひと儲けしよう、自由に作り変えようという意図も随所に見られ、
おしゃれな街にしたり、観光地化したりと、街の生き残り戦争の最前線をも垣間見えました。

正直、まだ歩き足りないです。

路地裏とか小さな公園とか古びた置き物とか素敵です。

[浅草の裏]

夜の浅草

千束通りをとおって、吉原から浅草の裏手へ。





 「シ」「ソ」が苦手な洋品店。
白くなってしまったが、背後の札の「ビジネススーツ」もなかなかの見応え。

浅草見番・浅草三業会館
つまり、花街の「検番」 の現代版ですね。
いまでも、料亭や置屋などの組合から成り立ち、
芸者さんの手配などを行っているみたいです(HPより)
(検番ではなく見番とも書くんですね~)

疲れたんで、隅田川でボーっと、スカイツリー眺めてました。

橋は、桜橋。








いいカメラほしいなぁ。

2014年11月3日月曜日

[東京ジャーミイ・ニコライ堂・湯島聖堂・神田明神]東京・「聖」空間めぐり


10月26日 東京ジャーミイ・トルコ文化センターへ

代々木上原からすぐの住宅街の中にあらわれる、イスラームの寺院。
毎日、礼拝が行われており、服装などに気を付けながら見学可能。
ステンドグラス、カリグラフィ、白と青と緑と赤が内部を彩り、静粛さを保ちながらも、社交的なムスリムの方々が日常的に礼拝のための気分を整えられる空間。
もう少し、イスラムの礼拝などについて、勉強してからまた行ってみたいと思う。

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10月31日 ニコライ堂へ

オフィス街のガラス張りのビルの中では、ニコライ堂は低くくすんでみえてしまいます。

しかし、中に入れば、正教会らしい、荘厳な金の装飾が祭壇を囲んでいます。
また、ステンドグラスや絵画の個性豊かなイコンが多数あります。
重厚な雰囲気が漂います

今度は、日曜日に来てみたいと思います。


「聖橋」は、ニコライ堂と湯島聖堂、二つの「聖」の間にあることからの名前

そこを渡って、湯島聖堂へ


大きな孔子像。森の中に突如として現れる存在感。威圧感すら。
大成殿は、最奥に構える本殿。とにかく大きく、そして締め切られているので、さびしくも威圧されます。屋根の上には鳩がずらーっと並び、また肩をいからせる獣が八方に構えておりいまにもとびかかってきそう。

最後に、神田明神

お江戸の総鎮守とだけあって、人も多く出入りしており、お土産屋さんやおみくじの売り場も神主さん・巫女さんが多くにぎやか。
さらには、本殿の周りを東京中の神社が取り囲んでたくさんいるので、神様もたくさんいます。
平日でもちょっとしたお祭り気分になれる、江戸気質を感じた気分。 



 東京にある、4つの「聖」の空間を回ってみた。

 共通なのは、香り。特に、建物内部では香りに包まれるとともに心に一定の緊張感を持たせてくれる。お香の香りはどこも大差なく、いってしまえば、子どもの頃に感じた仏壇の近くの香りと緊張感のつながりを思い起こさせる。


 「聖」は非日常とつながり、儀礼などを通して、自分自身や社会関係を再生産していく。しかし、儀礼は日常的に行われるものである。あまり固すぎる雰囲気ではない。また、これらの場所は東京という異文化の日常生活の場の中で孤立している。特に、イスラームやキリスト教は東京という都市の中ではマイノリティとしてのまなざしにさらされるなかにあったからだろう、見学者と言うアウトローにも開放的にふるまってくれた。

 我々は、マジョリティとして、文化を踏み潰してしまう可能性を持っていることを自覚しなければならない。そして、「誠実」さを忘れず、付き合わせていただいていきたいと思う。そうすれば、「聖」という絶対的非日常性を失った都市生活者にとって、このような場所は驚きと喜びを与えてくれると思う。

[神田川]江戸、東京、生活と文化と徒歩

10月12日、神田川 25.48kmを歩いてみた。
リアルタイムでツイートしてたものをまとめたのでみにくいとは思います。すみません。
ただ、その時その時で感じたものがそのまま残ってると思います。

台地を削り、江戸に水を供給し、風景をつくり、東京の裏側を流れ続ける、神田川です。



































両国橋を渡って、隅田川の対岸から神田川の終着点をみると、それはおおきな隅田川と比べて、気を付けなければ見落としてしまうほど小さかった。25kmも上流から、東京の真ん中を流れて、東京の文化や生活を支えてきた川のようには見えなかった。

神田川にとっては終わりでも、
それはまた別の日常の風景の一部でしかなく、
また長く大きな旅の途中に流れ込んでくる小さな流れの一つでしかない。

今回は、神田川として、切り取ったから見えたものでしかないことを痛感した。

2014年10月29日水曜日

『ヤノマミ』

『ヤノマミ』 国分拓(2010)NHK出版


2011年 大宅壮一ノンフィクション賞。
現代のノンフィクションの一つとして興味を持って手に取った。
「文明」側の人間がいくら畏れ気を付けても、彼らがそこにいるということはすでにヤノマミの「文明」化と背中合わせ。ヤノマミがそのままで生き続けてほしいと願うのみ。しかし、私がいまヤノマミを知ることができたのは、「文明」の浸潤が進んだからこそでもある。


『どこに行くのかと聞くと、彼らは〈ハナナリゥ〉だと言った。大きな川のようだった。どんな川なのかと重ねて聞くと、男たちはその問いに直接は答えず、右手の人差し指で左手の五指を一本一本指しながら、魚の名前をいくつも挙げ始めた。ナマズ、ウナギ、ピラニア、ピラルクー……。男たちの言い方は、日本人が好きな寿司ネタを挙げる時によく似ていた。』 p.73



『「天は精霊の家だ。天はたくさんの精霊の家が重なってできている。
 だから、精霊の家を探すには、一つ一つの家をどこまでも登っていかねばならない。
 ジャガーの精霊はずっと上にいるし、月の精霊は月にいるし、星の精霊は星にいる。
 ずっとずっと遠いところに住んでいる。
 病を治すには、どんなに遠くても登っていかねばならない」』 p.167


『「地上の死は死ではない。
  私たちも死ねば精霊となり、天で生きる。
  だが、精霊にも寿命がある。
  男は最後に蟻や蠅となって地上に戻る。
  女は最後にノミやダニになり地上に戻る。
  地上で生き、天で精霊として生き、最後に虫となって消える。
  それが、定めなのだ。」

 こう言葉に記すと、シャボリ・バタの言う「定め」には諦観のようなものが含まれているように感じるかもしれない。だが、深い森の中でその言葉を聞いた時、彼は「当たり前のこと」をただ「当たり前」に語っているのだと思った。
 そこには。揺らぐことのない強靭な「何か」があった。』 p.168


『ヤノマミにとって、生まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊なのだという。精霊として産まれてきた子どもは。母親に抱きあげられることによって初めて人間となる。だから、母親は決めねばならない。精霊として産まれた子どもを人間として迎え入れるのか、それとも、精霊のまま天に返すのか。
 その時、母親はただじっと子どもを見つめているだけだった。森の中で地面に転がっている我が子をじっと見つめているだけだった。
 僕たちにとって、その時間はとてつもなく長い時間のように感じられた。』 p.178

『そこで気になった。彼らはずっとここにいたのか、それとも、何か所かシャボニを変えたのか……。
 (中略)
 シャボリ・バタは「何度となく森を歩いた」と言った。歩いては家を作り、また歩いては別の家を作った。歩いては女と出会い、また歩いては別の女と出会った。そして、仲間を増やしたり減らしたりしながら歩き続けた、と言った。
 
 それは、モンゴロイドの流転にも似ていた。今から、二万五千~二万二千年前(諸説あり)、モンゴロイドの一派はアジアから凍てついたベーリング海を越え、アメリカ大陸へと渡っていった。そして、さらに歩き続け、一万年をかけて南アメリカの最南端まで到達した。ヤノマミはその道中で枝分かれした無数のグループの中の一つだ。アジアから南北アメリカを歩き続けたモンゴロイドと、森を歩き続けたシャボリ・バタ……。』 p.234


『ワトリキでは、「文明」への依存が進む一方で、「文明」への憎悪も深まっている。依存と憎悪。依存は、時に依存する側の人間を卑屈にさせるだろうし、それが憎悪に変わっていくことも想像に難くない。今後、その「依存」と「憎悪」は、ともに大きくなることはあっても、なくなることはないように思えた。
 そんなことを考えていると、若者の一人が、また政府の悪口を言った。僕に同意を求めているような言い方だった。だが、僕は、彼らの感情に寄り添うことも、同情することも、励ますこともできず、やはり、力なく笑うことしかできなかった。』 p.303